日本ゴルフコース設計者協会の副理事長の職にもつかれた。井上誠一とも交流があり、設計思想や仕事への姿勢などを受け継いだ。
東急の社員でもあったため東急系のゴルフコースの設計を数多く担当した。東急の二代目総帥の五島昇が都内に9ホールの「砧ゴルフ場」を作った1955年頃に東急に入社して砧ゴルフ場のグリーンキーパーとして勤めたのがきっかけ。その後、1971年にスリーハンドレッドクラブのベースの設計を五島が担当し、グリーン周りなどの設計を宮澤が担当したのがはじめての設計の仕事。
その後はメキメキと頭角を現して数多くの東急系のコースの設計を任されるようになった。
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